一躍、福岡のスターへ。 [福岡よしもと時代]
華丸・大吉と命名されたお二人は、すぐテレビに出演することになりました。
「どっちもどっち博多っ子倶楽部」という番組では、司会が竹山さん、そして「どっちもどっち」の名前どおり、ディベート番組ですので、ディベートするのは竹山さんの相方のケン坊さんと華丸さんということになりました。
大吉さんはどうしたのでしょうか?
実はこの時の大吉さんは、出演者ではなく「時々見切れるフロアディレクター」として、半ばスタッフ扱いされていました。
この時の経験が、のちの番組の仕切やスタッフの気配りに発揮されるわけですが、大吉さんとしては不本意でしたでしょうね。
なんとか芸人としてのスタートを切った華丸さん、大吉さんですが、ある事件が起こります。
エースだった竹山さんが、福岡よしもとを辞めてしまったのです。
まだ何もできなかった福岡よしもとの芸人に対し、所長は厳しく指導しました。
それに耐え切れずに東京に逃げてしまったのです。
竹山さんが抜けた穴には、棚ボタで大吉さんが入ることになりました。この時のことを大吉さんはこう語っています。
「竹山があの時逃げなかったら、今の自分はいない」
初めは芸人扱いされず、スタッフだった大吉さんですが、次の「とことんサンデー」では、メインMCに抜擢されます。
それは実力を認められて、というわけではなく、
「福岡よしもとにコンビ芸人がいなかったから」
……という、これまた棚ボタ式の抜擢でした。
しかし、その「とことんサンデー」は福岡限定、昼間の情報番組であるにもかかわらず、平均視聴率が15パーセント以上という人気番組に成長し、イベントを開催すれば、3000人も集まるほどでした。
華丸・大吉さんは一躍、福岡のスターへとのし上がりました。
【つづく】
注・画像はNHK「ミュージック・ポートレイト」より
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