大吉さんが謹慎? ~空白の一年~ [福岡よしもと時代]
一躍、人気スターとなった華丸さんと大吉さん。
福岡では不動の地位を確立していきます。
しかし、その地位が長くはつづかないことがわかっていました。
番組が変わっても、MCは華丸・大吉の二人、そして出演者もだいたい似たような顔ぶれ。
いずれ視聴者に飽きられるだろう、ということが予測できた大吉さんは、番組のスタッフと相談の上、「一年間、アメリカに留学する」ことにしました。
当時は「進め! 電波少年」が大人気で、猿岩石などの若手芸人が海外を放浪するという企画がウケていました。
ですから、ずっとMCをやっていた大吉さんがアメリカの留学先から出演することで、目新しさを狙ったのです。
そして、それを番組内で宣言しました。
しかし「アメリカ行き」の話は、事務所に話してはいませんでした。
それには理由があります。
当時、テレビ局と福岡よしもとがあまり良い関係ではなかったため、留学話はスタッフと大吉さんの独断で決めてしまったのです。
結果、番組は打ち切り、大吉さんは一年間の謹慎生活を余儀なくされました。
(このあたりのいきさつは、大吉さんの著書「年齢学序説」に書いてあります)
しかし給料は歩合制、しかもローカル芸人です。
第一、福岡よしもとの教えが、
「バイトはするな、バイトするぐらいだったら借金しろ」というものであったため、華丸さんも大吉さんも借金まみれでした。
一度は自力でアメリカ行きを目指したものの、逆立ちしたってそんな金はありません。
外に出れば、視聴者から
「なんでアメリカに行ってないの?」
……などと声をかけられます。
仕方なく、大吉さんはアパートにこもりきりになりますが、そのときから漫才のネタを作るようになります。
「ネタはボケが作るもの」
……という、一般的な考えもあったし、大吉さんもそのように考えていました。
それまではボケの華丸さんが作っていたのですが、ヒマをもて余した大吉さんは、気楽な気持ちでネタを作り始めたようです。
「どうせ、採用されるわけないんだから」……と。
【つづく】
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