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「このままでは一生売れません」~改名、そして上京へ~ [福岡よしもと時代]


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細々と仕事はあるものの、なんなとく低空飛行をつづけていたお二人。

たまにオンエアバトルに出場しては、合格を勝ち得、それからしばらくはもてはやされるものの、一か月もすればまた元の生活。

それの繰り返しでした。


そんなとき、福岡よしもとで六期後輩の「ヒロシ」が東京でブレイクします。



福岡では不動の人気を誇る二人でしたが、中央でブレイクした芸人とは、あからさまに差別されてしまいます。


同期のカンニング竹山さんが東京でブレイクしたときは、手放しで祝えるけれど、六期後輩、しかもヒロシさんは方言を使ったネタでブレイクしたのです。


周囲の自分たちに対する視線にも、なんとなく憐みのようなものも感じます。



しょせん、ローカル芸人。

中央でブレイクした人間とはちがうのだ、と。


ヒロシさんが紳士服のフタタの広告塔になり、福岡の街中でロケをする二人は、彼に見下ろされているような気すらしました。



あるとき、福岡よしもとの事務をやってた女性から、こんな言葉をかけられます。


「私の言うことを聞いてください。このままだとあなたたちは絶対売れません



その方の占いによると、「名前がよくない」とのこと。




「鶴屋華丸は0点。亀屋大吉に至っては口にも出せない(ほど悪い)」




華丸と大吉という名を、さらにめでたくしようと「鶴と亀」を付け足したというのに、それが仇となっていたとは……。


女性の話はつづきます。



一つだけいい名前があります。それは『博多』です。その名前にして、二年以内に東に向かってください。そうすれば、あなたたちは絶対売れます」


それを聞いたお二人は、その通りに実行します。


……が、決断までにはいろいろ紆余曲折あったようです。



今や、仲の良い芸人コンビの代表格であるお二人も、その時ばかりはケンカもしました。


東京に行きたい華丸さんと、止める大吉さん。


しかし、大吉さんが東京行きを渋るのには理由がありました。

それは華丸さんに二人のお子さんがいたからです。


福岡にいれば、少なくとも仕事はある。

けれど、これから上京したからといって、生活するのに満足な仕事が得られる保証はない。

大吉さんのように独り者なら、バイトでもなんでもして食いつなげるが、家族ともども路頭に迷ったらどうするんだ、と。


しかし、華丸さんはあきらめませんでした。


「来年、子供が小学校に上がる。だから、これがラストチャンスだ」と。


せっかく入学した学校を親の都合で転校させるのは忍びない。だから、今のうちに。


華丸さんのゆるがない決意に、ついに大吉さんは折れました。


注・画像は「木村とご飯」より
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「お前らはタレントだ」~所長の冷遇~ [福岡よしもと時代]

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インドから帰国した大吉さんは、以前のようにテレビに出始めました。
が、仕事は細々とあるものの、二人の低空飛行の日々はつづきます。


それというのも、福岡よしもとの二代目所長が、所属芸人に「華丸・大吉と遊ぶな。兄さんと呼ぶな」などと、華大を冷遇しはじめたのです。

また、大阪の芸人が福岡の劇場に出演したり、番組が放送されたりと、
福岡芸人よりももっとおもしろい人たちが出てくることによって、華丸・大吉の存在感はめっきり薄くなりました。


所長は福岡芸人を漫才師とは認めず、タレントとして扱いました。
そして、大阪から芸人が来ると、あからさまに差別します。


中川家が福岡の劇場に出演したときのことです。
四つある控室は、剛さん、礼二さんに一つずつ、そして福岡よしもとの芸人が狭い一室を全員で使い、残り一つは「予備用」とされました。

このように冷遇されていた華丸・大吉のお二人。
所長からされた仕打ちについては、トークのネタとして笑い話にされてますが、内心は忸怩たるものがあったのではないでしょうか。


コンビとしての活動はほとんどなく、ときどき温泉リポートなどをするぐらいの鳴かず飛ばずの日々がつづきます。

ヒマなときはパチンコや競艇などのギャンブルで時間をつぶしていたので、借金はさらに膨らみました。

月々の支払いができなくなると、また別の会社から借りる、ということを繰り返していました。
借金は福岡よしもとの芸人、全員の分を足すと、4500万円になっていたようです。



そんな頃、二人はNHKの「オンエアバトル」に出場します。

結果は見事合格。

全国区のネタ番組に出ることによって、地元の人たちの視線も変わりはじめたのです。


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インド放浪~謹慎からテレビ復帰へ~ [福岡よしもと時代]

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謹慎期間は残りあと三か月。

準備期間をのぞけば、正味二か月しかありません。
お金がない大吉さんがその期間を海外で過ごすとなると、物価が極端に安い国ということになります。


見積もった滞在費は10万円。
いくらかは事務所で出してもらったものの、渡航費の残り五万円が足りませんでした。


仕方なく不足分は華丸さんに頼みました。
しかし、華丸さんもお金はありません。



華丸さんは自分の時計を質に入れて五万円を作り、それを大吉さんに渡したのです。

実はこの時計は、華丸さんが初めてラジオのレギュラーが決まったときに買った記念の品でした。


後年、華丸さんがR-1グランプリで優勝したとき、大吉さんに賞金の半分を渡そうとしましたが、大吉さんはことわりました。
その代わり、


「記念にロレックスを買おう」


……と言ったのは、この時のことがあるからではないかと推測します。


結局、「時計に大金使うなんてどうかと思う」と、華丸さんは最初の言葉どおり大吉さんに半分渡したわけですね。



さて、単身インドに旅立った大吉さん。
手持ちのお金が少なかったため、写真もろくに撮れず、旅の記録は日記を記すことで残しました。
夜は危険なため、出歩くことができず、宿でいろいろ考えをめぐらすことができたのではないでしょうか。
紆余曲折ありましたが、結果としてアメリカに行くより貴重な体験ができたようです。


また、一年間休業したことで、大吉さんには芸人としての自我が芽生えたのでしょうね。
「鶴屋華丸」という芸人を研究し、彼を生かすための自分のスタンスを考え、それまでは華丸さん任せだったネタにも踏み込むことによって、
「コンビ」の形も進化したようです。

つらく、長い一年間でしたが、大吉さんはこの時の経験がなければ、



「芸人をつづけられなかっただろう」



……とまで書いています。

インド旅行を終え、福岡に帰ってきた大吉さんは、ふたたびテレビに出始めます。
しかし東京に進出するまでは、それからまだ長い年月を要しました。



【つづく】


【注】画像は「f45 ふくおかスペシャル」から。


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大吉さんが謹慎?【2】~もう一度、アイツの横に立ちたい~ [福岡よしもと時代]

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福岡よしもとから、一年間の謹慎を言い渡された大吉さんでしたが、家にこもってネタを書くものの、その生活にも限界がやってきました。
いよいよ生活費が底をついたのです。



仕方なく大吉さんは、レンタルビデオ店で深夜のバイトをはじめます。


しかし、深夜バイトは意外にも楽しく、バイト仲間ともすぐ打ち解けられました。
大吉さんは「延滞料金の取り立て」に才能を発揮し、店長からも信頼されます。


そして「店長候補の正社員にならないか?」と言われるほどになりました。
その誘いに大吉さんの心は揺れます。

未だ復帰のメドが立っておらず、芸人に戻れるのかすら定かではない状態だったからです。



「このままここで働きつづけてもいい」

……そんなことを考え初めていた矢先のことでした。



謹慎期間中、大吉さんは華丸さんや、ほかの福よし芸人が出る番組をほとんど見ていませんでした。
それは、見ても「むなしくなるから」という理由からです。

ところがクリスマスの夜、大吉さんは、華丸さんたちが出演する「クリスマス特番」をたまたま家で見ていました。

久々に見る相方の姿。
しかし、大吉さんはその番組を見て、笑うことができませんでした。



「まったく華丸さんの良さが出てなかったから」です。



自分が隣にいれば、こんなことにはならないのに。
自分がこう振って、華丸がボケればもっと笑いが取れたのに。



テレビの中の華丸さんを見ながら、大吉さんはいつの間にか泣いていました


自分がはがゆくて、情けなくて。
くやしさや寂しさや、いろんな感情が渦巻いていました。


このまま、レンタルビデオ店の社員になることはできない。


もう一度だけでいいから、アイツの横に立とう。 でなければ、僕は一生後悔する。


謹慎中、大吉さんはネタを書きながら「鶴屋華丸」という芸人を研究していました。
華丸さんの良さを引き出すには、自分がどうふるまうべきか、と。

自分はともかく、華丸には売れてほしい。
この九か月間で研究した成果を、一度だけ試してみたい。



大吉さんは、レンタルビデオ店の店長に「社員にはなれない」と断りを入れ、久々に福岡よしもと事務所に向かいます。

すると、所長の言葉は意外なものでした。



「大吉。インドはどうや?」


【つづく】


【注】画像はNHK Eテレ「ミュージックポートレイト」より。大吉さん復帰の回。




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大吉さんが謹慎? ~空白の一年~ [福岡よしもと時代]

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一躍、人気スターとなった華丸さんと大吉さん。
福岡では不動の地位を確立していきます。


しかし、その地位が長くはつづかないことがわかっていました。



番組が変わっても、MCは華丸・大吉の二人、そして出演者もだいたい似たような顔ぶれ。
いずれ視聴者に飽きられるだろう、ということが予測できた大吉さんは、番組のスタッフと相談の上、「一年間、アメリカに留学する」ことにしました。

当時は「進め! 電波少年」が大人気で、猿岩石などの若手芸人が海外を放浪するという企画がウケていました。
ですから、ずっとMCをやっていた大吉さんがアメリカの留学先から出演することで、目新しさを狙ったのです。
そして、それを番組内で宣言しました。



しかし「アメリカ行き」の話は、事務所に話してはいませんでした。
それには理由があります。
当時、テレビ局と福岡よしもとがあまり良い関係ではなかったため、留学話はスタッフと大吉さんの独断で決めてしまったのです。


結果、番組は打ち切り、大吉さんは一年間の謹慎生活を余儀なくされました。
(このあたりのいきさつは、大吉さんの著書「年齢学序説」に書いてあります)



しかし給料は歩合制、しかもローカル芸人です。
第一、福岡よしもとの教えが、


「バイトはするな、バイトするぐらいだったら借金しろ」というものであったため、華丸さんも大吉さんも借金まみれでした。




一度は自力でアメリカ行きを目指したものの、逆立ちしたってそんな金はありません。
外に出れば、視聴者から



「なんでアメリカに行ってないの?」


……などと声をかけられます。
仕方なく、大吉さんはアパートにこもりきりになりますが、そのときから漫才のネタを作るようになります。



「ネタはボケが作るもの」



……という、一般的な考えもあったし、大吉さんもそのように考えていました。
それまではボケの華丸さんが作っていたのですが、ヒマをもて余した大吉さんは、気楽な気持ちでネタを作り始めたようです。



「どうせ、採用されるわけないんだから」……と。




【つづく】




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一躍、福岡のスターへ。 [福岡よしもと時代]

とことんサンデー


華丸・大吉と命名されたお二人は、すぐテレビに出演することになりました。


「どっちもどっち博多っ子倶楽部」という番組では、司会が竹山さん、そして「どっちもどっち」の名前どおり、ディベート番組ですので、ディベートするのは竹山さんの相方のケン坊さんと華丸さんということになりました。


大吉さんはどうしたのでしょうか?


実はこの時の大吉さんは、出演者ではなく「時々見切れるフロアディレクター」として、半ばスタッフ扱いされていました。

この時の経験が、のちの番組の仕切やスタッフの気配りに発揮されるわけですが、大吉さんとしては不本意でしたでしょうね。




なんとか芸人としてのスタートを切った華丸さん、大吉さんですが、ある事件が起こります。


エースだった竹山さんが、福岡よしもとを辞めてしまったのです。


まだ何もできなかった福岡よしもとの芸人に対し、所長は厳しく指導しました。
それに耐え切れずに東京に逃げてしまったのです。

竹山さんが抜けた穴には、棚ボタで大吉さんが入ることになりました。この時のことを大吉さんはこう語っています。


「竹山があの時逃げなかったら、今の自分はいない」


初めは芸人扱いされず、スタッフだった大吉さんですが、次の「とことんサンデー」では、メインMCに抜擢されます。

それは実力を認められて、というわけではなく、

「福岡よしもとにコンビ芸人がいなかったから」

……という、これまた棚ボタ式の抜擢でした。

しかし、その「とことんサンデー」は福岡限定、昼間の情報番組であるにもかかわらず、平均視聴率が15パーセント以上という人気番組に成長し、イベントを開催すれば、3000人も集まるほどでした。


華丸・大吉さんは一躍、福岡のスターへとのし上がりました。


【つづく】

注・画像はNHK「ミュージック・ポートレイト」より

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