「お前らはタレントだ」~所長の冷遇~ [福岡よしもと時代]
インドから帰国した大吉さんは、以前のようにテレビに出始めました。
が、仕事は細々とあるものの、二人の低空飛行の日々はつづきます。
それというのも、福岡よしもとの二代目所長が、所属芸人に「華丸・大吉と遊ぶな。兄さんと呼ぶな」などと、華大を冷遇しはじめたのです。
また、大阪の芸人が福岡の劇場に出演したり、番組が放送されたりと、
福岡芸人よりももっとおもしろい人たちが出てくることによって、華丸・大吉の存在感はめっきり薄くなりました。
所長は福岡芸人を漫才師とは認めず、タレントとして扱いました。
そして、大阪から芸人が来ると、あからさまに差別します。
中川家が福岡の劇場に出演したときのことです。
四つある控室は、剛さん、礼二さんに一つずつ、そして福岡よしもとの芸人が狭い一室を全員で使い、残り一つは「予備用」とされました。
このように冷遇されていた華丸・大吉のお二人。
所長からされた仕打ちについては、トークのネタとして笑い話にされてますが、内心は忸怩たるものがあったのではないでしょうか。
コンビとしての活動はほとんどなく、ときどき温泉リポートなどをするぐらいの鳴かず飛ばずの日々がつづきます。
ヒマなときはパチンコや競艇などのギャンブルで時間をつぶしていたので、借金はさらに膨らみました。
月々の支払いができなくなると、また別の会社から借りる、ということを繰り返していました。
借金は福岡よしもとの芸人、全員の分を足すと、4500万円になっていたようです。
そんな頃、二人はNHKの「オンエアバトル」に出場します。
結果は見事合格。
全国区のネタ番組に出ることによって、地元の人たちの視線も変わりはじめたのです。
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華丸さんが突然死? [博多華丸・大吉]
大吉「相方との別れは、突然だと覚悟してます」
華丸さんが「めんたいぴりり」の舞台で、レギュラーのラジオ番組「TOP5」を休み、ピンチヒッターとして出演したときの言葉です。
これだけではなく、ことあるごとに大吉さんは華丸さんの体調を心配する発言をしています。
それはどうしてでしょうか?
華丸さんは、運動神経抜群ですし、睡眠時間は三時間で間に合うそうです。大吉さん曰く「非常にタフ」です。
大吉さんは収録や舞台の合間、移動中などにちょこちょこ寝ますが、華丸さんはずっと起きています。
そして、ここ数年過密スケジュールがつづいているにも関わらず、週に一度はゴルフに行くそうです。
たとえば、午前三時までお酒を飲んでいたとしても、五時には起きてゴルフをし、それから仕事に行きます。それも深夜まで収録があったりするのに、仕事終わりにはまた飲みにいったり……。
大吉さん曰く、「自分が同じことをやってたら、一か月もたない」という生活をしているのです。
また、福岡ではよく一緒に飲んでいるパラシュート部隊の斉藤さんも、「華丸さんに付き合っていたら、最近鼻血がよく出るようになった」とも言っています。
しかも、年末番組「華丸・大吉のなんしよったと?」では、斉藤さんは「華丸さんが死んでいる?」というショッキングなタイトルのエピソードを披露しています。
華丸さんはお酒を飲むと寝てしまうのですが、声をかけると必ず起きる。しかし、その日は声をかけても起きなかった。
その場にいた人たちは皆、
「ついにその日が来た」
……と、華丸さんが死んでしまったと思ったそうです。
以前も朝まで飲んでいたというのに、七時には迎えの車が来て、それから深夜までノンストップで仕事という時がありました。
大吉「アンタ、死ぬばい?」
華丸「大丈夫です」
【よしログ】
……このような会話は何度か見受けられます。
このように華丸さんは、大吉さんや周囲の人から、突然死すると思われているのです。
そんなとき、「主治医が見つかる診療所」という番組に、華丸さん、大吉さんがお二人で出演されました。
検査の結果、華丸さんはコレステロール値が以上に高く、
「家族性高コレステロール血症」と診断されました。
心筋梗塞のリスクが10倍だそうです。
番組の主治医に、
「生きているのが不思議なくらい」とまで言われていました。
華丸さんは、その後通院し、コレステロール値が一般人の値まで下がったそうで一安心ですが、お酒の量もゴルフ通いも相変わらずのようですね。
また、同じ番組では大吉さんも、「動脈瘤が原因でくも脳膜、下出血を起こす危険性がある」と診断されていました。
一日タバコを30本吸い、わからなくなるまでお酒を飲む大吉さんも、一時タバコの量を減らしたようですが、辞めたわけではなさそうです。
お二人とも相変わらず忙しい日々がつづいているようですので、健康には十分注意してほしいものですね。
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インド放浪~謹慎からテレビ復帰へ~ [福岡よしもと時代]
謹慎期間は残りあと三か月。
準備期間をのぞけば、正味二か月しかありません。
お金がない大吉さんがその期間を海外で過ごすとなると、物価が極端に安い国ということになります。
見積もった滞在費は10万円。
いくらかは事務所で出してもらったものの、渡航費の残り五万円が足りませんでした。
仕方なく不足分は華丸さんに頼みました。
しかし、華丸さんもお金はありません。
華丸さんは自分の時計を質に入れて五万円を作り、それを大吉さんに渡したのです。
実はこの時計は、華丸さんが初めてラジオのレギュラーが決まったときに買った記念の品でした。
後年、華丸さんがR-1グランプリで優勝したとき、大吉さんに賞金の半分を渡そうとしましたが、大吉さんはことわりました。
その代わり、
「記念にロレックスを買おう」
……と言ったのは、この時のことがあるからではないかと推測します。
結局、「時計に大金使うなんてどうかと思う」と、華丸さんは最初の言葉どおり大吉さんに半分渡したわけですね。
さて、単身インドに旅立った大吉さん。
手持ちのお金が少なかったため、写真もろくに撮れず、旅の記録は日記を記すことで残しました。
夜は危険なため、出歩くことができず、宿でいろいろ考えをめぐらすことができたのではないでしょうか。
紆余曲折ありましたが、結果としてアメリカに行くより貴重な体験ができたようです。
また、一年間休業したことで、大吉さんには芸人としての自我が芽生えたのでしょうね。
「鶴屋華丸」という芸人を研究し、彼を生かすための自分のスタンスを考え、それまでは華丸さん任せだったネタにも踏み込むことによって、
「コンビ」の形も進化したようです。
つらく、長い一年間でしたが、大吉さんはこの時の経験がなければ、
「芸人をつづけられなかっただろう」
……とまで書いています。
インド旅行を終え、福岡に帰ってきた大吉さんは、ふたたびテレビに出始めます。
しかし東京に進出するまでは、それからまだ長い年月を要しました。
【つづく】
【注】画像は「f45 ふくおかスペシャル」から。
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