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大吉さんが謹慎?【2】~もう一度、アイツの横に立ちたい~ [福岡よしもと時代]

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福岡よしもとから、一年間の謹慎を言い渡された大吉さんでしたが、家にこもってネタを書くものの、その生活にも限界がやってきました。
いよいよ生活費が底をついたのです。



仕方なく大吉さんは、レンタルビデオ店で深夜のバイトをはじめます。


しかし、深夜バイトは意外にも楽しく、バイト仲間ともすぐ打ち解けられました。
大吉さんは「延滞料金の取り立て」に才能を発揮し、店長からも信頼されます。


そして「店長候補の正社員にならないか?」と言われるほどになりました。
その誘いに大吉さんの心は揺れます。

未だ復帰のメドが立っておらず、芸人に戻れるのかすら定かではない状態だったからです。



「このままここで働きつづけてもいい」

……そんなことを考え初めていた矢先のことでした。



謹慎期間中、大吉さんは華丸さんや、ほかの福よし芸人が出る番組をほとんど見ていませんでした。
それは、見ても「むなしくなるから」という理由からです。

ところがクリスマスの夜、大吉さんは、華丸さんたちが出演する「クリスマス特番」をたまたま家で見ていました。

久々に見る相方の姿。
しかし、大吉さんはその番組を見て、笑うことができませんでした。



「まったく華丸さんの良さが出てなかったから」です。



自分が隣にいれば、こんなことにはならないのに。
自分がこう振って、華丸がボケればもっと笑いが取れたのに。



テレビの中の華丸さんを見ながら、大吉さんはいつの間にか泣いていました


自分がはがゆくて、情けなくて。
くやしさや寂しさや、いろんな感情が渦巻いていました。


このまま、レンタルビデオ店の社員になることはできない。


もう一度だけでいいから、アイツの横に立とう。 でなければ、僕は一生後悔する。


謹慎中、大吉さんはネタを書きながら「鶴屋華丸」という芸人を研究していました。
華丸さんの良さを引き出すには、自分がどうふるまうべきか、と。

自分はともかく、華丸には売れてほしい。
この九か月間で研究した成果を、一度だけ試してみたい。



大吉さんは、レンタルビデオ店の店長に「社員にはなれない」と断りを入れ、久々に福岡よしもと事務所に向かいます。

すると、所長の言葉は意外なものでした。



「大吉。インドはどうや?」


【つづく】


【注】画像はNHK Eテレ「ミュージックポートレイト」より。大吉さん復帰の回。




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大吉さんが謹慎? ~空白の一年~ [福岡よしもと時代]

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一躍、人気スターとなった華丸さんと大吉さん。
福岡では不動の地位を確立していきます。


しかし、その地位が長くはつづかないことがわかっていました。



番組が変わっても、MCは華丸・大吉の二人、そして出演者もだいたい似たような顔ぶれ。
いずれ視聴者に飽きられるだろう、ということが予測できた大吉さんは、番組のスタッフと相談の上、「一年間、アメリカに留学する」ことにしました。

当時は「進め! 電波少年」が大人気で、猿岩石などの若手芸人が海外を放浪するという企画がウケていました。
ですから、ずっとMCをやっていた大吉さんがアメリカの留学先から出演することで、目新しさを狙ったのです。
そして、それを番組内で宣言しました。



しかし「アメリカ行き」の話は、事務所に話してはいませんでした。
それには理由があります。
当時、テレビ局と福岡よしもとがあまり良い関係ではなかったため、留学話はスタッフと大吉さんの独断で決めてしまったのです。


結果、番組は打ち切り、大吉さんは一年間の謹慎生活を余儀なくされました。
(このあたりのいきさつは、大吉さんの著書「年齢学序説」に書いてあります)



しかし給料は歩合制、しかもローカル芸人です。
第一、福岡よしもとの教えが、


「バイトはするな、バイトするぐらいだったら借金しろ」というものであったため、華丸さんも大吉さんも借金まみれでした。




一度は自力でアメリカ行きを目指したものの、逆立ちしたってそんな金はありません。
外に出れば、視聴者から



「なんでアメリカに行ってないの?」


……などと声をかけられます。
仕方なく、大吉さんはアパートにこもりきりになりますが、そのときから漫才のネタを作るようになります。



「ネタはボケが作るもの」



……という、一般的な考えもあったし、大吉さんもそのように考えていました。
それまではボケの華丸さんが作っていたのですが、ヒマをもて余した大吉さんは、気楽な気持ちでネタを作り始めたようです。



「どうせ、採用されるわけないんだから」……と。




【つづく】




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一躍、福岡のスターへ。 [福岡よしもと時代]

とことんサンデー


華丸・大吉と命名されたお二人は、すぐテレビに出演することになりました。


「どっちもどっち博多っ子倶楽部」という番組では、司会が竹山さん、そして「どっちもどっち」の名前どおり、ディベート番組ですので、ディベートするのは竹山さんの相方のケン坊さんと華丸さんということになりました。


大吉さんはどうしたのでしょうか?


実はこの時の大吉さんは、出演者ではなく「時々見切れるフロアディレクター」として、半ばスタッフ扱いされていました。

この時の経験が、のちの番組の仕切やスタッフの気配りに発揮されるわけですが、大吉さんとしては不本意でしたでしょうね。




なんとか芸人としてのスタートを切った華丸さん、大吉さんですが、ある事件が起こります。


エースだった竹山さんが、福岡よしもとを辞めてしまったのです。


まだ何もできなかった福岡よしもとの芸人に対し、所長は厳しく指導しました。
それに耐え切れずに東京に逃げてしまったのです。

竹山さんが抜けた穴には、棚ボタで大吉さんが入ることになりました。この時のことを大吉さんはこう語っています。


「竹山があの時逃げなかったら、今の自分はいない」


初めは芸人扱いされず、スタッフだった大吉さんですが、次の「とことんサンデー」では、メインMCに抜擢されます。

それは実力を認められて、というわけではなく、

「福岡よしもとにコンビ芸人がいなかったから」

……という、これまた棚ボタ式の抜擢でした。

しかし、その「とことんサンデー」は福岡限定、昼間の情報番組であるにもかかわらず、平均視聴率が15パーセント以上という人気番組に成長し、イベントを開催すれば、3000人も集まるほどでした。


華丸・大吉さんは一躍、福岡のスターへとのし上がりました。


【つづく】

注・画像はNHK「ミュージック・ポートレイト」より

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